青空が落ちてくる。

are you thinking? われらはシンクタンク『世界征服倶楽部』

テーブルチャージ、

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テーブルチャージ、
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島いかと真だこの酢のもの、
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白身魚>
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豆富おかかステーキ、
<バター焼き、



お題「#この1年の変化
一月後半になって、リモート主体になった。通勤時間が失われ、一時間の昼休み、食堂に行っていた時間は、その場での食事に変わった。一度外に出てみたけれど、あっという間に30分経ってしまう。その時は慌てて弁当を買って帰った。いまでは、用意しておいた昼食をとって、ベランダやうちの中をぶらぶらする。そして、勤務時間が終わったら、買い物がてらに外の空気を吸いに外に出る。
週に一度出社する。その日は、以前のように早起きをしなければならない。そっちのほうが当たり前だったのにと思いながら。

1964年に東京オリンピックがあった。戦争に負けた国の復興を現す祭典だったという。
NHK 映像の世紀 プレミアム 第15集『東京 夢と幻想の1964年』を観る。
今年、オリンピックが東京で行われるという。なんのために?
東日本震災は天災だけれど、福島原発の事故は人災、区別しなければいけないと思う。その後が迷走している中で、祭典ができるのか。すでにというか、目の前にあるコロナのせいに、また責任転嫁しようとしているのは誰なのか。
あのときは、戦争で受けた様々な不から抜け出そうという勢いがあったように思う。
けれど、今もできるかできないか、みたいな、やりたいのやりたくないのとか、そもそも、首都東京がどうあるべきか、この国はどのようにあるべきかの議論を誘発する。
わたしたちはどうありたいのか、それを考える。行政は導てはくれない。わたしたちがこうありたいと、言わなければならない。それが民主主義なのだから。それを実現するのが国なのでしょう?
国のしくみ、中国、アメリカを比べてみると、自国民をどう考えているか見えてくるような気がする。表向きは明らかななのかもしれないけれど、
よのなか、なんとなくが多すぎる。