青空が落ちてくる。

feel the world. われらはシンクタンク『世界征服倶楽部』

2020+1、出場切符は赤紙のようなものでは、

出場に関して問われる代表内定者が、いるようだ。辞退してはと勧められるとか。わたしは、それって赤紙のようなものなのかと思った。切符をもらったら断れないし、国民の万歳で見送られる。そう思い、まさに死ぬ気で国のために戦うしかないだろう。国の代表として出場するのだから。

だから、代表内定者にその是非を問うのは筋違いではないか。彼らは英雄でもリーダーでも、代表者でもない。前線の優秀な兵士でしかない。国に問うべきだと思う。彼らの乗る船は、飛行機はどこへ向かうのですか。
そして改めて考えたい。日本国民なら、自分もその国の一員であることを。このままでは、その国が負けるかもしれない可能性があることも。

ハンバーグランチが、ディナー、

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ハンバーグランチ

フライはサーモン、


(考察)
最近の日本に思うこと、ベストである必要はないと思うけれど、人々を疑心暗鬼にさせる、その時の決断がすべてだと思い込んでしまうことではないだろうか。そうだとすれば、旧日本軍、政府の失敗からなにも学んでいないことになる。
明治革命によって生まれた政府は、太平洋戦争によって滅んだ。その後米国主導で生まれた政府はなにを学んできたのだろう。なぜ負けたのではなく、それは被害者意識でしかない、なぜ米軍は勝てたのか、少なくともパールハーバー、前哨戦では優位にっ立っていたという認識に立てば(『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』(中公文庫)参照)、考察、研究はされているのに、失敗したときに立ち止まってしまう。それが解った時、それは次に行かなければならない時でもあるように思う。アスリートが練習を重ね、その時その時、考えるより動く体を身に着けると同じではないだろうか。試合中は立ち止まってはならない。反省するのは、試合が終わってから。常に現場は動いているという表現があるが、そうだと思う。
日本だけではない。世界がまだ、コロナを追い詰められてない。オリンピックを餌に敵を集めて殲滅できる公算があるのなら、開催する価値はあるだろう。空気中に存在し追い詰めることもできない相手にそれができるだろうか。そんなところで戦いたい選手がどれほどいるのだろうか。どれくらい祭りの場所に集うのか、彼らの入場行進を見てみたいと思いもする。その時、彼らはどこの国の代表なのか。オリンピックへの切符は、かつての赤紙に成り下がる。