王朝の世の男にとって、人事とは、「人のあり方」そのものなのである。帝王の座に即かれ、「暗愚」とひそやかに評され給わりながらも、後白河院は、信西の巧みな政治的手法を、すべて自分自身のものとなし給われていたのである。 (双調平家物語13治承の巻II…
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