青空が落ちてくる。

are you thinking? われらはシンクタンク『世界征服倶楽部』

死ねるなら、まだマシなのではないだろうか?

最近頻繁に起きている、いじめを理由にしていると思われる自殺についてです。
そう言うのはかわいそうかもしれないけど、そこだけ見ていても根本的なことはなにも変わらないような気がする。たぶん死ねなくて、悩んだり、受け入れるしかない人の方が多いから。
人って死ぬときは簡単に死んでしまいそうだけど、普通に生きていたらなかなか死なないものだと思います。鬱気味で死にたいと思っていても、思っているだけじゃ絶対に死なないんです。鬱で死ぬのは、現実を超えてしまうからで、自意識で現実に止まっていられるうちは、どんなに辛くても簡単には死なないと思います。だから、その一線を越えてしまうということは、その人の精神に、その人が支えきれないような、相当な圧力がかかっていたと考えていいでしょう。最近のいじめが原因と思われている学童が、本当にいじめによるプレッシャーで自殺したのだとしたら、彼らにはどれくらいのプレッシャーを感じていたのでしょうか。どのようないじめがあったかを知っても、その圧力は自分の経験を顧みて想像することはできますが、あくまで想像の域は出ません。わたしには死ねば楽になれるという発想がなかったので、あくまで、想像の域ですが、いじめられている現状から逃れたいのは当然ですが、それに耐えるとか、立ち向かうとかという選択肢を選ばずに、一方的逃げるのは単純にその個々人の発想なのでしょうか。単純に考えて、世の中にその方が楽だよとか、逃げ道はそっちにあるといった雰囲気はなかったのでしょうか。もしそうだとしたら、彼らを自殺に追い込んだのは社会ということになります。大人社会といってもいいかもしれません。変な話、労災とか、パワハラによる自殺とか、似てませんか? 極端な見方かもしれませんが、そのようにも思うのです。
いじめをなくそう、そう言うことは犯罪のない社会をと言っていることとそう変わらないことを認識する必要があるのではないでしょうか。自殺が防げればいいとか、単純に考えていませんか。