青空が落ちてくる。

are you thinking? われらはシンクタンク『世界征服倶楽部』

豚バラ白菜鍋

ここでなにかを書くことは、どのようなことだろう。誰でも見に来られるけれど、進んで見に来る者はいないだろう。目立つための落書きにもならない。
SNSと呼ばれる場所、それが誰でも参加できる場所として、わたしも知った。けれど、参加することにためらいを覚えつつ眺めていた。ようやく解ったような気がする。それは、目に見えるようになった、大衆というものではないか。わたしには、大衆はあいまいな存在、そもそも存在するかもわからないものだった。それでも、なにも言わなければ、自分が大衆の一部になってしまう、されてしまう恐怖に晒させるようなもの。それが目に見える形で現れるようになった。そういうことでは、
多くの場合、言葉(今は映像も入るのかもしれない、)の暴力として、
大衆と体制は違うのでしょう?