青空が落ちてくる。

are you thinking? われらはシンクタンク『世界征服倶楽部』

決して失われることのない悪夢

kuzuu2006-10-31

ぼくは人生のことをそう呼んでいる。最近各地で、それによって自分の命を断つ子が出てきているけど、ぼくもそれにあった口だ。あのころを思い出すと、生きてはいなかったけど、死ぬことを考えたことはなかった。半分鬱のようにはなっていたような気がするけど、それは逃げ出すことのようにも思っていたし、まあ元々鈍い正確ではあったし、恐かったんだろう。だから、ただ口を閉ざしてからに籠もった。危険を覚えた生き物なら当然の対処方法ではないだろうか。
それを非難するつもりはないけど、自分を終わらしてしまう時代は終わったのだと思っていた。70年代、自暴自棄のように何人もの偉大なミュージシャンが死んでいった。そして、それは悲しいけど、美しい思い出になった。かっこよく死ぬのが美学のように思われ、憧れられたんだ。それが一転、80年代になると、70年代運良く生き残った偉大なミュージシャンは死ねなくなった。老いて生きることが求められるようになった。いつ死んでも歓迎されただろうボウイやキース・リチャーズは死ぬこと自体、許されなくなってしまったようだった。死ぬことよりも生きることの意味が問われるようになってきたのはそのころだったような気がする。かっこよく死ぬよりも、無様にでも生き続ける方がよりかっこいいかは分からないが、生に対して誠実だと考えられるようになったということじゃないのだろうか。カートコバーンのことはあったけど、20世紀の終わりはそんな雰囲気だったと思うのだ。21世紀になって、改めて戦争が始まったり、そうだと思っていたことがそうでなかった、と解るようなことが明らかになっていた。世の中のほころびは作り出されるのか、露呈されやすくなったのかは解らない。矛盾は矛盾として、明確に存在している。
複数の人が集まれば、個人の感情とは別に人々の感情が生まれる。人に対する好意の感情があれば、同じように嫌悪の感情が存在してもおかしくはない。好き嫌いがあれば、同じように、ひいきもあればいじめも存在する。人が集まる集団の中ではいろんな感情が渦巻いている。そのような前提から考えるべきではないのか。いじめは存在する、いじめはなくならないし、なくせはしない。なくすために恐怖政治をひきますか。でも、その時には最高権力者が誰かをいじめることになります。その現実から逃げていたら、なんの解決も見いだせないと思うのだ。

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「わたしはいつも云ってるけどね『死ねばって』。わたしが一番、さっさと逝っちゃいたんだから。もう、疲れた」