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最近の円高が気になるけれど、世の中、米国大統領選を見据えてのことなのだろうか。
ムルソーはなにも言わなかったが、カミュは彼を残した。
変態でもろくでもない人間でも、表現が残れば世の中に残ったり、のちに称えられたりするものなのだ。生きる、表現する、残す、そこまでいかなければ、そう思わせる谷崎だった。(ただの女好き、というか、それは人格ではなく存在、肉体が、)
NHK 100分 de 名著 谷崎潤一郎スペシャル 2020年 10月 [雑誌] (NHKテキスト)
- 発売日: 2020/09/25
- メディア: Kindle版
番組で、伊集院光が、学校の図書館にある公的なエロ、みたいなことを言っていたのが印象的で、谷崎文学を如実に表しているように思えた。
変態でもそれを芸術(表現)まで昇華できれば、それは作品になる。そういう意味では、江戸川乱歩も同じカテゴリーなのかもしれない。文学ということでは、大衆と芸術という差はあるけれど、どちらも時代を超えることができている。
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中学生のころ、劇場で映画を見るようになったころ、痴人の愛は成人映画だった。わたしの中で谷崎は、小難しい文学でエロいというイメージになってしまっていた。文学ということでの蓼食う虫しか読んでなかった。
今、有島武郎の或る女を読んでいる。iPhneで、これがなんとなくというか、読めているのが心地いい。紙だと、今どこら辺にいるのかとか、どこまで来たのか気にしてしまうこともあるのだけれど、電子では、先を知りたければゲージを出せばいいのだろうけれど、気にしなければいつまでも葉子といられる錯覚に酔ってしまう。